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アントニン・ドボルザーク(1841年-1904年)という作曲家は知っていますか?

…とその前にドボルザークの表記は多数あり…
*ドボルザーク
*ドヴォルザーク
*ドヴォルジャーク
*ドヴォルジャック
*ドヴォジャーク   
などたくさんありますね😳
一般的に【ドヴォルザーク】【ドボルザーク】を使うことが多いです。
本記事では【ドボルザーク】で統一します!

では本題に…
今回は没後120年を迎えたドボルザークについて
様々なキーワードをもとに簡単に解説、まとめをしたいと思います。

ところでドボルザークの作品で知っている曲はありますか?
皆さんが音楽の教科書や夕方5時の時報で流れる「遠き山に日は落ちて」
この曲は実は交響曲第9番「新世界より」第2楽章なのです✨
他にも「ユーモレスク」や弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」
「スラヴ舞曲集」などなど有名な作品は数知れず。。。

6月29日に行われました私が出演したピアノトリオのコンサートでも
ドボルザークの作品を演奏しました🎻
電車の中の広告などをみていると東京の有名なオーケストラも
ドボルザークの作品をメインプログラムにしたコンサートを企画しています。
本記事を読んで聴いてみたいな🎶と思った方はぜひ足を運んでみて下さいね!

ドボルザークの生涯

〇〇屋さんの長男として生まれる

ドボルザークは1841年に現在のチェコでお肉屋さんを営む家の長男として生まれました。
お父さんはトランペットの名手だったようですが音楽一家に生まれていないのは意外ですよね。

ドボルザークが音楽を始めたのは6歳のとき。
バイオリンを習い始めました。
みるみる音楽の才能を開花させ、その後オルガン、ヴィオラや作曲理論を学び始めることになります。

〇〇に才能を認められる

オルガン学校を卒業したドボルザークはヴィオラ奏者として音楽家の道を歩み始めます。
ドボルザークが入団した楽団の指揮者が音楽の教科書でもよく知られている「我が祖国“モルダウ”」(ボヘミアの川の〜♪の歌詞でお馴染みの歌です)を
作曲したスメタナでした!

ここで国民楽派を代表する2人が出会っていたのですね!

楽団での演奏活動と並行して作曲活動も始めたドボルザーク。
ある時、オーストリア政府が設置した奨学金制度に作品を提出します。

その審査員をしていたのがブラームスでした!

ブラームスはドボルザークの才能を見いだし、ドボルザークの代表曲「スラヴ舞曲集」の大ヒットと繋がっていきます。
これをきっかけに2人の交流は続いたそうです☺️

〇〇へ渡る

1891年ドボルザーク50歳。
アメリカ、ニューヨークにある音楽院の創立者であるジャネット・サーバーから音楽院院長への就任依頼が届きます。
初めは辞退していたそうですがサーバー夫人の熱心な説得により引き受けることに。


そして1892年ドボルザークはニューヨークへ!

アメリカでは黒人霊歌やネイティブ・アメリカンの音楽をたくさんの刺激を受けてインスピレーションを広げていくことになります。
アメリカに渡った翌年の1893年に代表作「交響曲第9番“新世界より”」「弦楽四重奏曲第12番“アメリカ”」と次々と名曲を生み出していくのです。

ドボルザークのエピソード

音楽より〇〇が好きだった?

ドボルザークは大の鉄道ファンでした!今でいう「鉄オタ」さんです😆
作曲に行き詰まると散歩に出かけ1日中、鉄道を眺めることもあったそう。
列車の時刻表の暗記にとどまらず、運転手の名前まで覚えていたとか!!

ドボルザークの作品には走行音のリズムを取り入れたフレーズが数多く登場します。
「弦楽四重奏曲“アメリカ”」の第4楽章はまさにアメリカの鉄道のリズムを感じさせます。

まとめ

いかがでしたか?
本記事ではドボルザークについてキーワードをもとに簡単ですが解説しました。
とても魅力に溢れた人ですよね。
今年は没後120年ということでたくさんのコンサートが企画されているようです。
ぜひ生の演奏でドボルザークの作品を楽しんで下さいね!
また「新世界より第2楽章」「ユーモレスク」は親しみやすいメロディーなので
演奏して楽しむのも良いですね🎹

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